腹がへる

作家の賀東招二が現代人のメンタリティというのは、誰かに自分の話を聞いてもらってシェアするものだ、って作中で書いていたような気がします。
わざわざブログを更新している僕も現代人ということでしょうか。


ガソリンは相変わらず手に入りにくいみたいです。
休業しているGSも目立つし、営業中の店舗では給油待ちの車がすごい。数えるほど億劫なほど車が道路に並んでいて、その他の車両の交通の邪魔になるほどです。


今日、生活費をおろそうとしたらキャッシュカードが割れていて無理でした。
いつ割れたのだろう。地震のときは会社のロッカーにうっかり財布ごと入れっぱなしにしていたので、そのときでしょうか。
電気はきているので、お店によってはクレジットカードやお財布ケータイが使えるからいいものの、銀行に交換に行くのが面倒です。後日落ち着いてからにしよう。


家族のことをしたり顔で語るのは嫌なのですが、少しだけ。
福島の実家にいる両親は、車のガソリンもないしそのまま家に留まるとのこと。屋内退避の30kmには含まれていないものの、アメリカが一時期言っていた90km圏内ではある。
父親はタンクローリーの運転手なので、仕事を再開しているとのこと。会津のほうにはよく行っていた記憶がありますが、浜通りには行くのだろうか。


感情を激するのは恥ずべき行為だとずっと思っていました。
福島原発での事態がどう終息するにしろ、東電には民意という名の地獄への善意と正義が敷き詰められて、裁判という名の公開処刑(無論、社会的な)が待っているのだろうな。
これはそう、僕の希望で妄想でもあります。
いずれ多種多様な人々を原告とした、長い長い面倒で苦しい裁判が始まるのでしょう。すでに老人といっていい東電の現経営陣が存命のうちにすべて終わってくれることを今から願っています。